『空中』
般若心経(…是故空[中]。無色…)の「中」は、竜樹のいう「中」であろう。この文言の前の(…不増不減)をうけて、「空」は「中」だと玄奘三蔵は苦訳した。中村元は「空中」を(実体がない立場において…)と、サンスクリット原文を訳し、空海は「是故空中無色」と続けて、空中は無色、と読み下しているようだ。
大切な「中」が傍らにおかれたように感じる。三蔵の苦訳「中」は、竜樹の『中論』から導き出されたはずだ。「中論」や「般若心経」に「中」の字は、ただ一度しか出てこない文字だが、大乗仏教にとって最も重要な一文字である。
「悟」とは自我を捨てること。般若心経は、自我を捨てるには、「色」は「空」、 「空」は「中」とみる知観が必要だと教えている。
但し凡人が自我を捨てるには、人生の終わりを待たなければならない。
竜樹において「空」「縁生」「無自性」「中」は同じ意味を持っている。これらは「無限」を説明する重要な言葉である。神は無限である。
無限には初めも終わりも無いという意味で「中」と言っているだけで、真ん中の中ではない。空は実体のないことで、無限に実体などない。無限の時間の中で固定し続ける実体などない。「バガバット・ギーター」には「時」が神だと書かれている。縁生とは、全てのこと・ものは縁によってなりたっているから、縁が切れることはありえない、無限である。また、無自性とは、生まれようとして自分の力で生まれてきたものは、なにもないことをいうのであるが、縁生と同じでこれも無限である。
いまや科学の世界では、この世は11次元で、宇宙は10の500乗個が生まれては消えていると計算されている。
宗教も科学も実はこの無限を証明しようとしているのだが、無限だけにいつまでも続くだろう。そう無限に…