あるじ の言いたい放題   2017



金印 何か違う 国宝展

 2000年近く経つのに骨董の要素がまるで無い。ぴかぴかのまさに金ぴかなのだから吃驚である。図録の写真では、黒影のような濃淡があるが、本物にはまるでない。
 ところで、奴国は確かにあったらしいが、まさに小国で、大国「漢」が金印を授ける程の国ではなかったと思われるので、「倭の奴」は、きっと見下した表現で、倭国のことであろう。「倭奴」=「倭国」だと思っている。
 卑弥呼の卑も同様で、本当の名はわからず、呪術で国を治めていたから、弥呼(巫女・ミコ)と言ったのだろう。そして見下した卑をつけただけだ。
 倭国も「倭」に見下した奴隷の奴をつけただけに違いない。属国として認めるという金印だから。
 国宝展で唯一観たかった金印「漢委奴国王」。館外で1時間、館内ゲートで30分、金印前で20分並んだわりには、あまりの美しさに拍子抜けしてしまった。
 やっぱり歴史を纏った骨董が好きなんだと自分の美観を改めて確認した。そりゃそうだ、古い古い奈良県のさらに古い、古墳だらけの三輪地区に住んでいるんだ。


台北101

「台北101」高さ509m 地上101階地下5階

 「タイペイワンオーワン」と呼称する。ガイドによれば101階あるから「101」と呼ぶだけではなく、コンピューターの2進法0と1・満点の100より上を意味して101など、いろんな意味合いを含んで「101」となったらしい。  
 熊谷組を建築主体として、分速1qの高速エレベーターは東芝製。89階の展望室(地上382m・600元(この日のレートで2400円))まで37秒で行ける。2004年12月31日完工なので、スカイツリーのエレベーターには、静粛性で少し劣っていると感じた。  
 台湾土産1のパイナップルケーキ、ホテル傍のセブンイレブンや桃園国際空港でも買ったが、この展望室で買ったのが一番美味しかった。そう言えば地下1階「ディンタイフォン」の小龍包は、日本人の口に合う。  
 総工費は当時の金額で600億元(日本円換算2300億円)、逆台形はもとより、風水の影響で外壁には飾りがつけられ、違和感(雨水の仕舞いが心配)がある。  
 ライオンズクラブ・オセアルフォーラムに参加しなければ、このビルに上ることはなかっただろう。人生の巡り合わせは、いつも不思議だ。


浄土三部経 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」のこと。

『阿弥陀経』(岩波文庫 中村元訳注)
集   団 修行僧1.250人 長老16人 求道者文殊菩薩等 帝釈天・梵天等
場   所 コーサラ国の首都にあるジェータ林「祇園」
説法相手 シャーリプトラ 
内   容 阿弥陀如来の「幸あるところ」(西方・極楽浄土)の素晴らしさが述べられている。七日間阿弥陀如来を一心不乱に称名するならば、臨終のとき、如来と求道者・修行者が迎えに来られ、 また極楽浄土に生まれたいと誓願すれば往生できると説かれている。

『観無量寿経』(岩波文庫 中村元訳注)
集   団 修行僧1.250人 求道者文殊菩薩等32.000人
場   所 マガダ国首都の牢獄 鷲の峯
説法相手 ヴァイデーヒー アーナンダ 
内   容 幽閉されたヴァイデーヒーに説法。無量寿仏(阿弥陀如来)の極楽浄土の観想と無量寿仏の身相と光明の観想、観音菩薩・勢至菩薩の観想、九品の往生についての説法。「下品下生」段に、 どのような悪人でも「南無阿弥陀仏」と十念すれば臨終のとき、極楽浄土の蓮華に生まれ、花開いたときに菩提心をおこすと説かれている。

『無量寿経』(岩波文庫 中村元訳注)
集   団 修行僧32.000人 長老弟子36人・求道者弥勒菩薩等含
場   所 マガダ国首都 鷲の峯
説法相手 アーナンダ 弥勒菩薩 神々 人間 アジタ
内   容 阿弥陀如来が法蔵菩薩であった時の48誓願。「18願」には、生者が菩提心をおこし、阿弥陀仏への信心「称名」を続けたなら臨終のときに、阿弥陀仏が修行僧たちとともに、死者の前に立とう、 という誓願。極楽往生の安らかな死を迎えられるということ。
 法蔵菩薩の師「世自在王仏」の年齢は、この時42劫。阿弥陀如来は寿命が無限なので「無量寿如来」また如来の光明が遍く届くので「無量光如来」と呼ばれ、無量寿如来(阿弥陀如来)は、 悟られてから十劫(432億年p62)経っている。
 西方の極楽浄土の素晴らしさと、善行をつまず悪行を重ねていると、死後地獄に生まれると説かれてある。



 『法華経』も『維摩経』も、如来の供養とは法の供養であり、「法の供養」が最も素晴らしい供養だと説いている。法の供養とは、仏陀の説かれた教え(経)を『読誦し、聞き、信じ、受持し、理解し、 書写し、人に解説すること』である。

 人生とは自我をなくすための修行(克明)


2017年1月1日

極楽山浄土寺阿弥陀三尊(快慶作 浄土堂とも国宝 写真=パンフレットより)
 一見何の変哲もない寄棟造り(十八m四方)のお堂に入れば、そこは極楽浄土。大仏様式浄土堂内の阿弥陀三尊に迎えられ、この世の命の浄土に包まれる。誰もが思わず手を合わせる。 五三〇p丈六の阿弥陀如来。三七〇pの勢至菩薩(右)・観音菩薩(左)。
 建久三年(1192)創建したのが、東大寺再建の大勧進を行った重源上人である。きんとん雲?に乗って来迎された姿を表している。運慶に比べて快慶の作はなべて女性的であるが、 それこそが大慈大悲の阿弥陀如来に相応しい。太い柱を円形の須弥壇の下から寄木にして立て、彫刻し黒漆を塗り、金箔をはってある。
 小野市に浄土があるのは、上人がこの地を領所として与えられていたからだが…此の前で黄泉に行けたら、幸せだろうなぁと、この世の煩悩が囁いた。お釈迦様が、修行者・菩薩は 「この世もあの世も捨て去る」と説かれた意味が、いまわかった。