あるじ の言いたい放題   2016



まむし草と浦島草


(上)茎がマムシの柄に似ているので「まむし草」と呼ぶらしいが、実際毒性があるらしい。(下)花から黒い釣り糸状に伸びているのが、浦島太郎が担ぐ釣竿に、似ている から「浦島草」という。こちらも「まむし草」ほどではないが毒を持っている。どちらも良いネーミングで気に入っている。


葬送の仕事師たちの死生観


 「生きている間、自分は存在しない。死んで、生きている人の心に入ってから、生きていたと世に証明される」(P201)


釈迦の悟り

ライオンズクラブ国際協会 玄関正面受付

  釈迦の悟り−苦集滅道「苦」この人世は苦。「集」苦の因は五蘊(色・受・想・行・識)による。「道」苦をなくす方法は、八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の 実践。「滅」この結果「苦」が消滅する。ここまでは小乗(声聞・縁覚)。大乗に至るには、さらに「慈・悲・喜・捨」を必要とする。慈悲喜捨(他利行)の菩薩行を実行することによって、真人となる。
  通奏低音のようにずっと流れているのは、空(無自性)の感得であるのは言うまでもない。何故なら慈悲喜捨の「捨」にとって、自我程邪魔なものはないから。自我を捨てるには「無自性」を感得 する以外に方法はない。ただ、「無自性」の理解には、(無限論)の完成が必要なのである。無限(初めも終わりも中間も無い)とは、どういうことなのかの「般若波羅密多」が…
  結果、無限には生死が無く、全ては縁起によって成立している、という般若波羅密多によって二度と「母体に宿る」(この世に執着すること)ことはない=苦を味わうことは無いとなるのである。
  苦の除去方から始まった釈迦の出家が、45年間の菩薩行によって完成し如来となられたのだ。