あるじ の言いたい放題   2005




子曰、吾未見好徳如好色者也。

(先生が言われた、わたしは美人を愛するほどに、道徳を愛する人をまだ見たことがない。)「論語」


 どうも後味の悪い訳に思えてならない。時代背景を無視して、其の訳を一言で言うなら、男尊女卑の思想。色を、美人の一言に当て嵌めることがその 象徴であろう。孔子が例え色を美人としていたにしても。民主主義のいまなら(恋するほどに心を善くしようとする人に、まだ出会ったことがない。)と、 訳したい。それにしても、2500年前も今も、恋の魅力に微塵の翳りもないのが嬉しい。



はづかしきもの色このむ男の心の内

 岩波文庫の編集諸氏が選んだ「世界名言集」に抜粋されている。枕草子からの選出であるが、これを読んだ時、清少納言は男かと思ったのである。 色このむ男の心中が恥ずかしいとわかるのは、男のみだと考えたからだが。学の無い者は、恥ずかしい限りだ。冒頭のはづかしには、漢字の「恥」は使われ ていない。色は恋のこと、このむも「好」ではない。時代によって変化し、生きている言葉の解釈の難しさ大切さを、思い知らされることになった。はづか しは気後れのこと。このむは趣味とでも訳すらしい。(恐くなって心が怯むのは、恋愛を趣味のようにする男の心中を知ったとき)となるのだろうか。勿論、 当人からこのような心中を直接聞くことは考えられないから、こっそりと聞き知った背景を感じなければならない。貴族社会で、恋愛をゲームのように楽し む男達に、大切な恋心を翻弄されていた宮廷の女房の吐露であった。



生まれてきた理由

 もし、あなたが何のために生まれてきたのかと問われたときは、子孫を残すためと答えればよい。自分自身が先祖からの繋がりで、いまあるように。 それなら、何故パートナーに美を求めるのかと問われたなら、より美しい子孫を残すためと返事すればよい。それにしても、何故美にこだわるのかと問われ れば…君が何かをつくるとしたら、例えそれが眼に見えるものであれ、見えない心象や思惟であれ、美や善を目指すと思う。より醜いもの、より悪いものを つくろうとはしないだろう、そう答えればよい。



髄膜炎

 乳幼児の病気と言ってもいい。高熱が続き食事が出来ず、嘔吐、頭痛を伴う。済生会中和病院一泊7.000円の個室に入院。点滴を1日4本。ただじっと 寝ているだけの3週間。まだ微熱と頭痛は残っているが退院。今年二十歳になる大学2年生の次女のことである。


 7月30日 39度の熱が出たと電話してきた。31日座薬で熱を下げ、前期試験のレポートを書き続け、8月3日大学にレポート提出後帰省し、休診日だったが主治医の 小阪医院に18時過ぎ到着。診察後帰宅するも一向に回復の兆しなく、6日再診に行く。髄膜炎の可能性ありで、済生会中和病院を紹介されて即日入院。数日後 ウイルス性髄膜炎の診断が下った。乳幼児の病気とて大人にこの診断を下す町医者は名医と思った。流石我が同級生。感謝、感謝。


 1週間後見舞いに行く。近所の花屋でフラワーアレンジ5.000円。娘の見舞いに花を買っていくなど思いもしなかった。「お父さん、仕事は」これが第 一声。後はふぅふぅいうだけ。熱が続いている証拠だ。花を部屋の隅に置き、5分ほどで帰ってきた。13~16日胡麻郷の農業法人に就職した長女が盆休で帰省。 毎日見舞いに行ってくれた。18日LC例会の後覗いて見る。多少はマシになった顔をしていた。そして26日、退院。暑い8月が終わろうとしている。




 千代北交差点に「好日山荘」というアウトドア用品店がある。大阪に出張するとき必ず通る道であり、たいてい信号が赤の交差点。普段は、ぼぉーっと 24号線を行き交う車列を見ているのだが、この日は店の看板に眼が行った。女の子が好き。そうか。言葉を生んだのは女性でも、文字を創ったのは男だ。凄 い確信となって、心にこの発見が充満した。翌日。漢字は中国が発祥だったことに気付いた。「字統」(白川静著)によれば、好は女性が子供を愛しんで、 抱いている姿から生まれたらしい。字意は美好。女の子じゃなかったのだ。 それでも、6世紀に漢字が仏教とともに日本に入って、日本語に消化されてい く過程で、スキとなったことに間違いは無い。好をスキと読ませたのは、絶対男だ。日本男児だ。昔の“ますらお”は、こよなく“たおやめ”を好いていた のだ。いや、今だって、負けてはいない。



会話

 男子校で中高を過ごした身には、分かり辛いことであった。行動で示せ。これが男子に共通する概念である。最たるものが部活であろうか。黙々 と活動を共有することで相手が分かる。それが男であり、その共通部分があれば、黙っていても良かった。信頼関係が暗黙の中に確固とできていた。

 文学部。確か7:3で女子が多かった。「話しなさいよ。黙ってちゃ、分からないでしょ」。何回と無くそう言われた。女の子は好きだけど、話 すのは苦手だった。男子校で野球しかしていなかったものにとって、女の子に囲まれて話すのは、なおさらしんどく感じた。

 話さなければわからない。そりゃそうだ。しかし黙っていても、活動を共有していれば、いつか分かるじゃないか。そんな思いが通用しない。 女子にとっては、いつかじゃ困るのだ。常にわかり合っていたい。そういうことらしい。

 弱きもの、汝の名は女。腕力に頼る男と優しさに縋りたい女。優しさとは、会話のことだった。会話によって相手を知りたい。何を思い、何を 考え、何をしようとしているのか。それを知ることが、弱きものの、自然に身についた生き方だった。だから、多分、言葉をつくったのは女性。



生き方

 2005.5.5 三輪山裾の山田の草刈に行った。普段は草刈機を前にして左右に振りながら前進するのだが、この日は坂上からバックで下ることに した。刈った草を見つつ、後ろに下がりながらの草刈だ。後ろが全く見えないので危険なのだが、勝手知った我が畑なら大丈夫。左右の景色が、土の 起伏が、自分の位置を教えてくれる。10mほど刈り終え顔を上げ、目の前に道になって、美しく刈られた跡を見たとき「い・き・か・た・か」という 言葉が自然と口から出た。


 後ろは見えない未来、前は歩んできた過去の証。


未来は一歩後ろが崖であっても本来見えないもの。この世に生まれてから今日までの過去は、記憶の彼方に残っている。過去は顔を上げたとき、 美しくあって欲しい。美しい過去にしなければならない。刈られた草の跡が、人生の歩み方を教えてくれている。



未来

 「未来」この素晴らしい響きを大切にするなら、明日生まれてくる子供の為を考えなければならない。明日生まれてくる子にとって、世界の平和 は欠かせない。阻むものは「多種な言語」「国境」「差別(男女・人種等)」「民族」「文化」「宗教」などであろうか。これらの維持強化をしよう とするものには、未来の言葉は似合わない。



勘違い

 人は恋をするが、人にとって愛は子育てにしか存在しない。愛だと思っている感情のほとんどは恋。男女間の愛だと思っている感情は、恋以外 のなにものでもなく、決してそれは、愛ではない。何故なら、恋心は八方美人だから。人が一人に失恋するとまた次の出会いを求めることを誰も否定 できないことを胸手すれば。もし愛なら冷めることなく変ることなく続くはずだ。ほとんどの人間は、恋を愛だと勘違いしている。また、真の愛とは 愛されることではなく愛することだ。もともと人は誕生したときから神の愛に包まれているから、既に愛されている。だから人の愛は、愛することで 歩みを進めなければならない。また、愛に死は存在しない。何故なら愛は不死だから。私の母方の祖母は100歳を超えて寝たきりになった今も、80に ならんとする我が子を気遣っている。死後もこの思いは続いているかもしれないと思わせるくらいなのだ。それ故、人にとって愛は子育て以外には見 つけにくい。

 男にとって愛とは困難至極な観念である。子育てから逃げるものに、愛はわからないのである。赤ちゃんの夜泣きに悩まされ、そこから逃避し たものには決して愛の事はわからない。理由なき、いや理由があるからこそ泣く赤ちゃんの理由がわからない混乱を乗り越えないものには、愛の事は わからない。夜泣きの中に神が宿っている。人間が神である期間と言い換えてもいい。構ってくれと泣いている。あやしてくれと泣いている。神と人 の語らいの時が其処にある。ここに愛がなければ赤ちゃんは育たない。愛は神との語らいにあり、神が愛である証なのだ。

 ところで、私たちは神を見ることはできない。例え観ていても神とは認識できない。神の姿を嘗て一度も見たことがなく、誰からも教えてもら ったことも無いから。唯一神だと認識できるのが、赤ちゃんであると私には思える。



我侭志向

 ベルリンの壁崩壊(1989.11)後、早15年が経過した。ファーブル先生が看破した如くになったわけだ。ファーブル先生は昆虫を観察していて、 子育て主義とも呼べる親の本能を発見、重要視した。産み捨てが普通の昆虫の世界にあって、夫婦で子が孵るまで巣穴で世話をするもの、背中で子 供を育てるもの等、親の決して崩れることの無い本能の継続を確認していたからだ。だから、この本能を無視した共産主義の失敗を予言できた。家 庭を築き、家族の内で我が子を親が育てられない社会は、有り得ないと。共産主義の国民皆労働者思想は、子供を親の子ではなく国家の子として捉 え、子育てを他人(保育士)に委ねる結果になった。育てる能力があろうとも、国家のために働く労働第一主義であったからだ。しかし、今日の社 会を見るにつけ、家族の崩壊が顕著に示されるようになっては、ファーブル先生も苦悩の色は隠せないかもしれない。核家族(さらに親子ばらばら のと、付け加えたほうが良い)、一人所帯の増加(未婚・非婚・離婚・死別夫婦等)は、個人主義強調の人間社会を主張している。近い将来、マル クスが看取した、資本主義の発展した社会主義からの、真の共産社会が誕生するかもしれない。言うまでもないが過去の轍を踏むことなく、独裁的 指導者の存在しない社会として。父や母、兄弟や姉妹、祖母や祖父という言葉が消えた社会が。社会が子育てを担う、産むだけの時代が。それにし ても、その引き金が、個人主義の極まった我侭志向から起きるなら、マルクスも吃驚という事になるだろう。ただ、母性のことが男にはわからない だけに、まだ不明瞭であることを、父性は白状しておかなければならない。



永遠の美

 もう、神への憧れは止そう。不死にはきっと、美が無いと思われるから。確かに“イリアス(ホメロス)”には、神と見紛うばかりの美と人 を表現している。だが、私には、美とはこの世のことだと思えるのだ。不死なる神に美が必要だとは考え難いからだ。いつ、何処で、誰が見ても美 なる美。観念の中で絶対の美をつくりあげたソクラテスやプラトンも、永遠の美は神に有ると言ったけれど、不死なる神に美があるとは思えないのだ。 この世の営みこそが美。だから神は、この世を創造されたとわかってきた。それは私たちが何かをつくろうとした時に、必ずより良い美を目差すよ うに、神もこの世を創造された時、きっと美を目差されたに違いないと私には思われるからだ。私たちはミロのヴィーナスやサモトラケのニケを美 だと感じる。手の欠けたヴィーナス、首の無いニケを。世界遺産としているピラミッドやアンコールワット、京都や奈良の神社仏閣も風化している のに、世界の美としている。不朽ではない美が美。だからこの世には、永久に美が続く。



イエ

 動物にはイエをつくるものたちがいて、人間がその中で一番大きい。昆虫や鳥と較べれば歴然としている。鯨や象はイエをつくらない。何故 だろう。答えはひとつ。もし彼らが昆虫や鳥のようにイエをつくったなら、巨大なイエになるからだろう。海も草原も彼らのイエで埋め尽くされる だろう。人のように、贅沢な間取りに憧れるなら、なおさらのこと。彼らの本能にはそのことまで、インプットされているのだ。人間の欲は、彼ら の本能に比べて恥ずかしい。



抽象

 1+1=2 これは抽象の権化である。何故ならこの1には、何を当て嵌めてもいいから。例えば蜜柑、林檎、饅頭、ケーキといった類の物から、 凡そ物体として知覚できるモノなら何でもいい。夜空の星でもいいのだ。そして答えは2。現実には林檎1つと林檎もう1つで2個なのであり、それ はあくまでも林檎という物体である。だから、「林檎2つ皮剥いて」と言う。ただの数値だけを言ったりはしない。必ずモノと合わせて使う。そこで、 冒頭の数式を見たとき私は、何を足すのだろうと思ってしまうのである。それが気になって、問題が解けなかったりするのかもしれないと思っている。 抽象画とは、まさにこのことなのでは。つまり絵に何を観てもいいということだ。まあ、絵のことはさておいて。学校ではこんな応用問題が出る。 林檎3個と蜜柑2個では合わせていくつですかと。即座に5と答える人は、普通の人だ。ミックスジュースと答える人は洒落のわかった人。しかし 僕なら、足せません、若しくは林檎3個と蜜柑2個と50歳を過ぎれば答えたい。何故なら、林檎と蜜柑は別物だからである。あくまでも、林檎は林檎 であって蜜柑は蜜柑だ。もっと詳しく言えば、男1+女1+犬1+猫1+馬1+蝿1+蟻1ではいくつですかと問われたら、どう答えるかということなのだ。直 ちに7といえる人は、私には凄いと思わせる。どう足せばいいのかと逆に問いたいのである。


 世界の共通言語として、また最も正確な言語として今日の社会を構築し、未だ衰退の欠片も感じさせない数字。科学技術の未曾有の進歩に、 貢献し続ける数字。しかし、この数字の魔力に、人間は苦しみだしているのでは。そう思っている。「1は、何の1なのか」。この実体がわからぬま ま、足したり引いたりしているのが、いまの社会なのだ。哲学は、まさにこの「1は何の1」なのかを発見し、公衆に提示することでなければならな い。難しい哲学用語の解釈や造語のためにあるのではないはずだ。今日哲学が見放されたのは、このことによるのではないか。また脇道に逸れてしま った。確かに先生は林檎1+林檎1=2と教えてくれたのに、何故、林檎が抜けて数字だけになってしまったのか。数字なんてこの世の何処にも生えてい ないし、触ることも出来ない、山や川や海に行っても見つかりっこないのに。51歳の一年生は叫ぶのだ。見えない、触れない、聞こえない、匂わない、 味もない、実体無き数字に子供達は悩み、学校嫌いになっているのではとさえ思うのだ。確かであると信じていた数字こそが、曖昧な抽象の象徴であ ったとわかったのだ。あの1もこの1もこの世では、はっきりと実体の有る1であるということを、しっかり見つめながら生きて行きたいものだと思って いる。



契約

 たぶん僕は、前の世界からこの世界に生まれてくる前に、神様に聞かれたに違いない。この世に生まれたいのかと。生まれたいと僕は言った。そ こで神様は、それなら死に神に会って契約してきなさいと言われたのだ。僕は意味がわからず、兎に角死に神のところに行った。この世に生まれたい のですがと、死に神に言うと、それなら何年にするのかと聞き返された。首を傾げると死に神は言った。何ものも、たとえ宇宙といえども、不死に生 まれることは出来ないのだから、お前はこの世でもいつかは死ぬのだと。そういって、この世の動物・植物を問わず、命あるものの全てを見せてくれ た。ただこの時、それぞれの寿命がどれくらいかは、教えられなかった。僕はとりあえず死に神と命の期間を契約した。そして、神様のところにその ことを報告に行くと、またこの世の命あるものの全てを(思えばこの時、僕が言った寿命より長い生き物は、既に省かれていたのだろう)もう一度見 せられて、どれにすると返答を催促された。暫く考えてから、僕は人間がいいと言った。こうして僕は人間に生まれたのだが、何故か、死に神と交わ した命の期間を覚えていないのだ。いやいや、そういう問題ではない。人がぽっくり死ぬのも、自殺するのも、痴呆症になって生きているのも、大地 震で生死がわかれるのも、すべて死に神との契約期間のせいなのだ。



寝室

 大三輪町史(昭和34年発行)を見れば、神山三輪山は、かなり上方まで耕されていた。勿論、食料確保のためだ。戦争に負けて食うに喰われぬ 物不足の時代が、まだ続いていたのだから。記憶に残っていることといえば、カンピーの粉末ジュースで真っ赤になった舌、あたり前田のクラッカー 「てなもんや三度笠」、颯爽とオートバイを駆る「月光仮面」白装束にサングラス、縫いぐるみの胸から強烈な風を出す「鉄人28号」、ウーヤーター の「少年ジェット」、真夜中にもよおしてもトイレに行けなかった「恐怖のミイラ」、車と言えばオート3輪、氷で冷やす冷蔵庫、雨上がりに地道を 這うアメリカザリガニ(バケツいっぱいとってきて、曾祖母に大鍋で湯がいて貰って、尻尾の身を腹いっぱい食べた)、米と砂糖を持参した大音響の ポン菓子おじさん、ゴム風船に入った5円のアイスキャンディ、毎日一箱(20粒入)食べたかも森永のミルクキャラメル、悪戯しては入れられ泣きじ ゃくった真っ暗な倉、お客さんがあれば祖父がつぶした鶏のすき焼き、飲み込んだ卵を割るためか梁から土間に落ちた青大将カイトマリ、井戸水に冷 えた至福の西瓜、そうめんふしを水で戻して煉りクレープにして豌豆餡を包んだケンベヤキ、祖母がつくっていた醤油の大桶、鯉のぼりの竿に干して あった干瓢、ハエ取り紙にびっしり張り付いた家蝿、下水板を踏み込んで入る五右衛門風呂、おつりのくる便所、布団の上で飛び跳ねた蚊帳の中。し かし、全く思い出せない不思議がある。寝ていた部屋だ。



WE SERVE

 モットーとして高らかに謳われる、ライオンズクラブ(略称LC)の「we serve」の話をしてみたい。創始者メルビン・ジョーンズや先輩諸兄 の誹りを覚悟の上で、3年生坊主の戯言として聞いていただければ幸いである。

 「我々は奉仕する」を胸に強く刻んで、このクラブに入会させていただいた新入りにとって、戸惑いはすぐに生まれる。入会は3名のスポンサーと呼 ばれる経験豊なライオン何某の推薦にはじまり、単位クラブ全員の内覧承諾を経て、漸く許される。

 それでは私事から論じてみよう。2002年11月7日(木)第951回例会日に入会式があった。キャンドルを手に50数名のライオンの拍手に包まれて入場。 ひな壇でスポンサーから紹介され、花束やライオンズのバッジ・必携を会長から手渡される。緊張と感激の瞬間である。新入会員の代表が宣誓文を読 み、会長の挨拶があって式は終了する。そして、通常例会が始まるのだが…。

 例会は、会長による開会宣言並びに開会ゴング、国歌斉唱及びライオンズクラブの歌合唱、会長挨拶、幹事による前例会から今日までの活動報告、 各委員会報告と続く。

 そして、結婚記念祝・誕生祝が当例会月にあたる会員に渡される。

 これは何なんだ?

 かく言う私もこのとき早速結婚祝をいただいたのだが。奉仕をモットーとするLC会員が内輪で互いを祝い、会費からその費用を出す。なんとも、 納得のいきかねることであった。会食が始まると基本は飲み放題。もっとも、開始時刻17:30終了時刻19:00は厳守である。勿論この飲食代も会員の 会費から捻出されている。奉仕に使われてしかるべき会費が、自分達の祝や会食に回っているという現実に、唖然としている自分に気づいていた。

 通常例会にとどまらず、桜井LCにはクリスマス家族例会、春には観桜例会、年度末(6月)には一泊例会と会費から多額の費用が流失する。これ らはすべて会員の親睦と称して使われている。

 所謂2世会員で、親からLCのことを多少は聞いてはいても、奉仕に繋がるとはとても思われない例会行事に驚愕していた。戸惑いを隠せぬまま、 一年四ヶ月が過ぎて、漸く辿り着いた“we serveとは”がこれから書こうと する本旨である。



 ライオンズクラブは1917年アメリカに誕生。1952年日本では東京LCが初めて認証(スポンサーはマニラLC)。桜井LCは1964年に認証(スポン サーは奈良LC)している。

 さて、現在でも見られる各種団体、とりわけ同業団体では、共通意識が多く意思の疎通がさほど難しく無い。というのも、例を挙げれば三輪素麺組 合や桜井木材協同組合等、職業が同じなら、例えば総会ひとつとってみても、日時等暇な時期がすぐ選べる。素麺組合を言えば、決して製造繁忙期の 冬期に、総会や行事等を言い出す者とて無いわけだから。利害関係も明白で、同業に不都合なことは、全会一致での排除も簡単である。何故なら、当 初から組合構成員の利益のために創られた団体であるからだ。ただそれがために、利己的・排他的性格は否めない。また組合員の親睦も「屋上屋を架 す」あまり意味の無いことにもなる。

 一方、LCは構成員の職業が様々である。職業が様々なら繁忙期も様々になる。また、初期には構成員各家の持ち回り例会で遣り繰りしていたとし ても、会員が増えれば、場所をはじめ日時の調整だけでも、大変になることは想像に難くない。ましてや屋外活動や役員の選考にいたっては、不平不 満が続出しただろうと思われる。

 “親睦無くしてLCの存在は無い”こう悟ったメルビン・ジョーンズは、ここに奉仕の思想を組み込んだ。会員が相互に奉仕をし、互いに譲り合い 助け合うことによって、LCの結束を強固にしようと考えたのだ。だから我が桜井LCにおける結婚祝や誕生祝は、会員相互の奉仕の一翼として必要で あり、家族例会や観桜例会、一泊例会は会員の最大目標である親睦にとって大切なのである。それ故、これらの計画を担うほうも参加するほうも、奉 仕の精神と親睦の心情を、蔑ろにしてはならないのである。こうして奉仕はまず、会員相互間の親睦の必要から生まれた?

 何故親睦が最大目標になるのか。親睦とはどの辞書によっても、仲良くすることとある。大は国家間の戦争から小は子供の喧嘩に至るまで、仲良く すれば無くせることである。親睦が如何に大切かは、人が2人以上の集団になりさえすれば、またその構成員になれば、誰しも感じることだ。仲良く するにはどうすればよいのか。自己主張を出来る限り抑えて、文句も控え、相手に奉仕する心を持てば良いのである。

 さて、LCの構成員を振り返って欲しい。企業・団体の大小を問わず、ほとんどの人が、そのトップの重責を担っている人たちばかりである。これ らの人たちが奉仕という実践を通じて仲良くすれば、その社会は平和であり、その裾野が自然に広がるだろうことは、言を待たないだろう。揉め事の 無い平和は幸を約束しているのだから。

 また、親睦は人間同士の良い付き合いを形成することにあるが、その為には詰まらない自分を、高めなければならないことも事実である。ライオン ズの親睦行事が、ただ本能のままの楽しみに終わっているようでは、ウイサーブの精神が無いばかりか、真の親睦にはならないと言える。セックスも 強姦では、ただの本能に過ぎないのと同じだ。互いの精神的高まりによる合意があってこそ、真の意味が生まれ、宝が生まれるといっていいはずだ。

 故に、仲良くするためには自己を磨かなければならず、自己を磨くには、ウイサーブの精神を身につけるのが理にかなっているということになる。

 つまり、ウイサーブは、地域社会に直接奉仕することは勿論のこと、もっとも重要なのは、その精神をLC活動の中で培い、より高い自己を目指 して磨き、平和の幸を齎す人間相互の親睦の為に必要なのである。

 またこのことから、ウイサーブは、LCにとどまることなく、世界にとっても必要不可欠の精神だと言えるのではないだろうか。



 ああ、やっと入会時に抱いていたウイサーブの矛盾・困惑を、ここに至って解決できたのでした。LC会員に幸あれ。



人間

 生まれてきたことを評価し、人間として生まれてこられたことに喜びを感じられなければ、人として生まれてきた甲斐が無い。もっとも、こんな ことを考えるのも、人間として生まれてこられたことによるのだが。生まれてこられたことと、生まれてこられなかったこと。無であった自分とこの 世に有として今有る自分。桜咲いて新緑の芽吹き、楓の紅葉綿帽子の嶺々。鶯や雲雀の声、小川のせせらぎ。紺碧の海と蒼穹。三日月と金星の夜空の 競演。そして何よりも恋。有の自分を評価しない者があるだろうか。

 しかし、人の最大の思い違いは死のことである。死ぬのではなくて、死ねるのだということ。このことを命ある間に気づかなければ、生まれて こられた意味も半減する。神のように死ぬことが出来なければ、生のなんと詰まらないことか。死ぬことが出来ればこそ、命の素晴らしさが倍増する のだから。死は、言わば生まれてこられたものの、行使してはならない特権なのである。

 死ねなければ人は恋をするだろうか。美を感じるだろうか。子供をつくり育てるだろうか。何の感動も無く,ただ惨めに生き続けるに違いない のだ。神だからこそ不死であっても感動があり、この世を創ることも出来たのだと思うのである。



御破裂山


談山神社 東大門

 鏤められた星空にはっきりと知るのは、木星と北斗七星。目指すは御破裂山頂607m。平成10年9月の台風7号以来、桜井市で一番の眺望を誇って いる。am5:15 草臥れたジーンズに真っ赤なセーター、反射板付きのウォーキングシューズ、ウエストポーチにはデジカメとタオル、携帯電話 と小銭をポケットに、静かに踏み出す。JR三輪駅の踏切を渡り“かど店”を左に曲がって“白玉屋栄寿参道店”前を真っ直ぐ南に向かう。出口橋 で金星発見。鄙びた桜井中央通商店街をつきぬけ165号線を左に少し進めば、右「多武峯」の薬師町交差点。暫く行くと同級生で主治医の小阪医院。 ここまで約30分。等彌神社を左手に直進すれば、フェノロサが発見した国宝十一面観音立像のある聖林寺が見えてくる。さあここからはずっと上 り坂。背中に張り付いた汗が想念を揺さぶる。(僕は負けた とことん負けた まだまだ負ける でも自分を捨てはしない 僕は落ちる どんど ん落ちる どん底まで落ちる でも自らを絶ちはしない 己のこの世にある奇跡が 前世や来世の存在より 遥かに信じ難く 喜びに満ち満ちて いることを知ったからだ)ふと見上げれば、音羽山の白みかけた上空に、明けの明星となった金星が眩い光を放っている。落ち葉に彩られた屋形 橋を渡り、談山神社東大門までくればあと1km。社務所に声をかけ、神官の好意で閉ざされた朱柵を跨ぎ一路頂上へ。権殿左の登山口に御破裂山 頂まで590m約20分とある。途中、談(かたら)い山の赤樫の古木に声をかけて、山頂藤原鎌足を祀る古墳に至れば、眼下に藤原京の眺望が広がっ ている。11km2時間で辿り着いた古の大和、その息吹が今も聞こえている。振り返れば墳墓の風倒木に心痛が奔った。
 大和盆地に名残を惜しみつつ一気に下る。真っ赤な楓と社殿に後ろ髪を引かれつつ黙々と舗装の帰り道、何かに誘われて倉橋で右に逸れた。修復 なった溜め池護岸を境にして、朝陽を浴びて水面に映る紅葉の美。スマートメディアが切れるまで撮り続けた。新設のごみ焼却場「グリーンパー ク」を過ぎ、石位寺前を行くと、なんとL堀山会長を生根神社で発見。長話を見透かして、挨拶もせず神社下道を、頭を垂れそそくさと通過する。 朝倉台を越え、玉列神社を過ぎ、保険会館横の長谷川に架かる水管橋を見れば、白鷺と五位鷺が並んでとまっている。下には鴨が数羽水中に首を 突っ込んで餌を漁っていた。右に道をとって金屋、我が散歩道「山之辺の道」の起点だ。海柘榴市観音堂、金屋の石仏、喜多美術館、二重塔も眩 しい平等寺、日向神社、そして大神神社。この日は4組の結婚式の行事予定が掲げられていた。境内を通り鎮女池から大美和の杜を過ぎて、漸く 拙宅に帰れば10:00近くになっていた。(´・ω・`)