光はプリズムを通ると7色に見える。光の3原色(赤・緑・青)は重なると白くなる。もし、色の3原色(赤・黄・青)の混合のように重
なった光が黒であるなら、この世の何も見えはしない。この世のすべての美はおろか,一切が暗黒になる。人間の作った色が混じると黒くなる
のとは対照的に、光は真実を露わにするのである。人間の作った色が空気に塗れたなら、その先は見えない。しかし、光はどの色も決して眼前
を遮断しない。どんなに重なろうとも、プリズムの逆の流れを見れば歴然で,透明感を増し一層明るくなる。
物質の極限にまで凝縮していた真っ黒な我が宇宙。ビッグバン以前の、漆黒な宇宙の塊が、神の力で解放されたとき、色も解き放たれたの
だ。光はその色を顕現する。ひょっとしたら爆発以前の凝縮された宇宙の外側には、光が満ち溢れていたのかもしれない。きっとその光が漆黒
を破壊したのだ。そしていまも、この宇宙の外側は、圧倒的な光に満ち溢れているに違いない。
民俗学者柳田国男や宮本常一とは全く違ってはいるが、彼女もまた民俗に関わる最高の表現者だ。農民人形作家が彼女の本当の肩書きで
ある。「何故に農民は貧なりや」の疑問から出発した、柳田国男の学問としての民俗学。片隅に生きる古老のライフストーリーを民俗文学作品
に高めた宮本常一。彼らと表現を異にはしているが百姓を見据える眼は優しい。宮本常一と同じ1907年生まれの最新97歳の「追憶」(2004年)は
恋物語である。農民の日常のひとこまを捉え、表現された人形の眼には、すべてこの恋の眼が宿っていた。(兵庫県立但馬全天候運動場)
運動によってドキドキする心臓と恋してドキドキする心臓がある。前者は肉体の激しい運動から生じた機械的鼓動であり、後者は自己の
意思や肉体の疲労とはなんら関係無い魂の震えと言うような鼓動である。このような魂の震動は、恋に限らず人には備わっていると思うのだが、
現代人は心の奥深くに魂の住処を追いやって鼓動を抑えているのだ。勿体無い。
この世のことを一言すれば色である。何故なら色が無ければ形が無い。形が無ければ美が無い。美が無ければこの世の存在価値が無いか
らである。まず色有りき、しかるのち光あり、さらに形が認められて美が出現するのである。美はさらに恋を導き、心臓の鼓動は人間最高の歓
喜となる。
人の本能は昆虫に比べて精巧さの程度においてかなり劣っている。また、他の動物に比べても成長が遅いという意味で劣勢だ。これを補
う唯一の知も悪知恵や快楽にかけては発揮され易いが、絶対の正義や善良、美においては苦しい。本能によって生きる生き物達において、正・
善・美は必要の無い観念である。生き方のすべてが神によって与えられ、死までもが整然としているからだ。いつ死に至ろうとも悲嘆の対象に
すらならない。
ところで人は、本能の精巧さ成長の緩慢さを補うための知を、ただ生きるための道具として使うだけでは論外としてきた。ソクラテスの時
代に生まれた哲学がその証である。それ故哲学の今日的課題も、生き方の知を正・善・美で語られなければならない。正・善・美のベースが人
生の簡潔さで、行われなければならない。また、このことが社会の全般にわたって遍く浸透していなければ人間社会は、これからもゴミと犯罪
に悩まされ続けるだろう。
魂にとって恋から遠くなるばかりの社会はこの上なく悲しいはずなのに。
湯舟に浸かってじっと自分の裸を観た。浴室のカーテンも草臥れている。天井には黴もはりついて、大理石の壁にまで転移していた。
観察が掌まで来たとき違いがわかったような気がした。魂と精神。Soulと Spirit。もうこの身体は復元しない。二十歳頃の瑞々しいはりの
ある肉体には戻らない。時が過ぎれば過ぎただけ、老いて朽ちて見苦しくなり、思うようには動かない。明日の一日経った自分の惨めな五体
が今日わかる。一日後の一日老いた惨めな肉体が眼に見える。なのに何故人は、夢の無い成長の無い自分の身体と付き合い生きていくのか。
本能の生欲だけとは思えない。知の感性に従えば、決して復元することなく、ただ朽ちていくだけの自分には耐えられないはずだ。知性も
また感性に従うだろう。女性の意に副ってきた人間社会の進化のように。それは兎も角、人を生かすものこそ、魂なのではないか。魂にとって
こそこの世の生が必要なのではないか。健全なる身体に健全なる精神が宿るとするなら、精神は身体に従うはずである。もうだいぶボケて
痴呆症になるのが確実の自分が、その近い未来にボケ老人として生きているなら、なおさら自らを生かすものは、魂だと思われるのだ。
色の濃淡が形を纏って鮮やかさを増し
さらに色が滲み出てくる
やはりこの世は色だ
色が形をつくっている
観る者の心が反映してのりうつる
なにを感じるかがその人の人生の軌跡を露わにする
ピカソ展(ATCミュージアム)ピカソとジャク
リーヌは1952年夏、ピカソ70歳、ジャクリーヌ26歳の時に出会い、‘61年に結婚し
た。彼女は‘73年、91歳でピカソが亡くなるまでピカソ曰くの「お母さん」を全うし
た。無論モデルとしても最高だった証が展示されている。《椅子に座るジャクリー
ヌ》1964年 青の時代とは全く異質な、ほとんど水墨画に近いブルーのジャクリー
ヌ。ピカソの真正な愛を見た気がした。幼子が母を見詰める時の、女神となった母の
顔を。82歳の幼子が38歳の母の女神を、愛の眼差しで素直に描いている。散歩道で
拾って帰った黒猫を膝に座らせて。‘54年にピカソのパートナーフランソワーズが
去った後、ピカソの愛を一身に浴びてきた18年間。さらに60歳で自らの命を絶つま
で、ピカソの絵に囲まれて過ごすピカソ亡き13年間。彼女の心に揺れ動いたものは、
ピカソの残した自分への愛に満ちた作品に描かれた過去の生活。遺作につつまれた孤
独は、逆に絵に鑑賞されている、日々老いていく自分。“耐えられない” そう、耐
えられなかったのだ。老いることない絵の愛に。
百年ぶりの一般公開。明治天皇がお忍びでお茶を飲みに来られた茶室「龍吟庵」があった。ここから回遊式庭園の頂上「草堂」に向かえば
途中にトンネルがある。天皇がこられたとき掘られたものだ。天井の裸電球や鑿の後が、お忍びの証として眼に眩しい存在感を持っていた。
隧道は途中で二股に分かれている。一方は琵琶湖疎水に他方は草堂に通じている。天皇が来られたのは疎水出口からだ。この庭園もご多分
に漏れず小川治平の作庭である。京の有名庭園を訪れれば、小堀遠州の名を聞かないことはない。家康の駿府城を築城し名を馳せた遠州が、
何故か明治期の治平の師匠とパンフレットには、うたわれている。別人とは思えないだけに奇怪だ。
庭園美は四季の移ろいだけではない。人の手間の連続性にある。何百年も毎日のように、代々世話をし続けてきた手入れの美である。骨惜
しみさえしなければ、誰でも出来る苔の隙間に生えた草ひきの賜物だ。絵画や彫刻といった完成したときが最高の美とは違う。骨董のよう
に年を重ねるほど美を増していく。しかも、一流の芸術家でなくても出来る美だ。手入れの芸術と断言して良い。これは日本人の美でもあ
る。失いたくないこの日本人の美意識を、未来の社会つくりに生かしたいものだ。そう思いつつ表門を後にした。
愛においての一途は、女性には当て嵌まらない。恋の一途なんて言うものも存在しない。恋とは最初に出会った瞬間の一目惚れのドキドキの
心臓を言うのだから。恋にとっては、相手と口をきいてはならない。話をした瞬間から恋は愛に変心するかもしれないからである。恋は、はな
れて思うもの。そっと隠れて慕うもの。けれども、いつでも愛にしたいと願うもの。
あまたの女性に共通する結婚における打算が、愛の一途を彼女らから奪う。結婚という現実はその後の子育てを俯瞰して、確実に愛の一途を
遠ざける。だが、彼女らは諦めたわけではない。子育てに追われてほんの一瞬忘れたふりをさせられているだけである。心底にはマグマのよう
な恋心が煮え滾っている。いつ噴火しても不思議ではない熱い恋心が。
ひと頃よく言われ、今も続いているだろう熟年離婚。これこそが、打算の結婚の証である。用済みの男は捨てられるのだ。あっさりと。恋心
を経過することなく、愛を抱くこともなく、打算で共同生活をしてきた男女の人生の、曲がり角での結末なのだ。何故、愛が子育ての期間に育
まれなかったのか。これこそが現代の解決すべき重要課題である。いやいや、ずっと過去からそうだったのだ。古い因習が、偏った思想が、彼
女らを縛り続けただけだ。もともと子育てさえ済めば男なんて無用の長物に過ぎないのだ。
ところでここで、もうひとつ確認しておかなければならないことがある。「騙された」と女性がよく言う結婚後の言葉だ。男があまり使わな
いこの言葉。いったいどういうことなのだろうか。それはつまりこういうことだ。愛という感じのことだ。愛しているから結婚しようといった
言葉のことだ。生活疲れや貧しさのことではない。愛しているといった相手に自分への愛を感じられるかどうかのことだ。どんなに辛くても愛
を相手に感じられれば、騙されたことにはならないということなのだ。
熟年離婚とはまさにこの部分の引き起こした結末なのである。だーから、見合いであろうと恋愛であろうと愛を感じられれば熟年離婚などは
無いといってもいい?
神は人に知を与えたが、同時に自らを殺すことも許した。毒杯を呷ったソクラテスの謎がここにある。どう説明しようとも理解不能の謎解きが
ここにある。ダイモンの沈黙がソクラテスにそうさせたとしても。自ら毒杯を呷る必要などあるはずがない。彼ほどの知性と感性を兼ね備え、人の
寿命の長さを生きた人物には似合わない。本来なら釈迦の最後のような死を迎えるべきだったはずだ。天寿を全うし弟子達に囲まれ、惜しまれなが
ら静かに黄泉の世界に逝くのが彼に相応しい。彼が宗教者であったなら、そして、祈りの言葉を発見していたら、毒杯を呷ることは無かったかもし
れない。哲学の者として知に生きたがために、宗教者とは違う意味で神に安住を与えられたような気がする。
それにしても何故神は、人間に知を与えたのだろうか。人間の殺戮の歴史を振り返れば一目瞭然であろう。人間の本能とは、そもそも競争するこ
とであるから、何にせよ戦うのである。人間2人寄れば競争をするということだ。協力し合って何かをしていても、2人の間には常に競争意識が存
在している。2人が3人になり、もっと拡大して国家社会を形成し、法をつくり宗教が生まれ倫理や道徳観念が教育されても争っている。否、一人
きりの孤独であっても自己と戦っているではないか。昆虫記のおがみ蟷螂を例に挙げるまでも無く本能は残酷な一面を持っている。ましてや虫けら
の如くと他の生命を奪う、人間の本能は生物最大の残虐性を秘めていると断言して良い。
しかし、言うまでも無く本能とは生き方のことだ。だから、どの生命体にも生き方の本能がインプットされている。人間にとってどんなに理解
不能な生き方の本能があるにせよ、生き方の本能は神によって与えられている。もし人間の生き方の本能から知を取れば、残された本能は闘争の
みになる。自らを滅ぼすのに時間はかからない。人間はこの残虐性を克服するために、知も神から授かったと考えるべきであろう。
ソクラテスのエロスは、この知の究極である愛に知が高まることだ。高められた知の愛の結果、人間世界は極楽となるのだ。ところが、またこ
の本能ゆえにあっさりと自らを滅ぼしもする。何故なら、高められた知の愛から見れば自己の存在などあまりにも些細になるから。知の愛に従え
ば死もなんら躊躇すべきことではないということになるのだろうか。ただ俗に言う、愛する者のために死す、ということとどれだけ違いが有るの
か、凡人を愛する身には未だはっきりとわからないのが残念である。
石楠花 8時半と記憶していた開門時刻。車を駆って1時間弱とも。カーナビによれば約25km。日曜日の早朝は田舎と雖も 一層道は空いていた。 8時5分には終日600円の駐車場に着いた。室生寺。ここを訪れるのは何度目だろうか。漆黒の釈迦如来を仰ぐために。砂と いうよりゴマ粒大の深い小 石道を10mほど行けば朱の太鼓橋。眼下室生川を渡れば境内。正面の表門を、右に室生川、左に白壁を見ながら進むと 拝観券が売られている。 開門は8時だった。赤鬼、青鬼の出で立ちに見える仁王門を潜れば、金堂に向かう石段が目に飛び込む。目を凝らせ ば、両側を石楠花で 彩れた頂上に、平安時代初期建立と言われる金堂が鎮座して窺える。石楠花は薄いピンクの花を少ないものでも6個、多い ものなら15個以上も 固まってひとつの大きな花に見せている。登りきればどちらもコケラ葺の、弥勒堂が左、正面には勿論金堂。国宝の屋根を頂 いて国宝・重文の仏像 が整然と並んでいる。なかでも等身大の十一面観音菩薩像と本尊の釈迦如来立像は秀逸だ。フェノロサに見出された聖林寺 十一面観音より遥かに温 和で優しい顔が好きだ。十一面の、歴史を刻んで剥げ落ちた骨董の美顔が心を離さない。惜しむらくはもっと傍によって 恋人の顔を観るように見詰 めたい。思いを振り切るように堂央の本尊に視線を移せば、いつも魅入られてしまう朱の衣を纏った漆黒の釈迦如来が 立っている。遠目からでも光 背の色が鮮やかに浮かんで、一段と漆黒と朱を新鮮に感じさせる。ああ、生きている。生きているから観えるのだ。 魂が心の中で呟いた。-2004.4.25-
![]() |
−克明− |
音楽の苦悩 | 音楽は色鮮やかに揺れて止まる時を知らない。 |
形を眼に見せることも無い。 | |
どこまで聴こえるか彼自身わからない。 | |
それが音楽の悩み。 |
僕の心臓が僕の心臓であり続けるために、死後も僕の体内にあって欲しい。臓器移殖が喧しく議論されて、今は少し静かになった。医学的・科学的・倫理
的見解のことは、凡人を愛する身にはちょっとしんどい。彼らの言いたいことは、脳死の死のことだけで基本的に臓器移殖には、反対していない。何故なら生体か
らの臓器移殖は、もう十分行われて成功例が多い。ただし、ただひとつの心臓だけは、生体からは無理だ。肝臓のように一部を切り出して使うわけにも行かない。
心臓の鼓動は母の胎内で始まれば、休むことなく死まで続く。睡眠時間は無い。だから大昔から人の死は心臓の停止と誰もが暗黙のうちにも知っていた。麻酔をし
て体が全く動かなくても、口がきけなくても、眼が開かなくても、心臓が動く限り生きていると信じてきた。何故脳死の死が語られ始めたのか。人為的に心臓を動
かすことが可能になった所為だ。
機械仕掛けで心臓を動かす。果たしてこれを生きていると認知すべきかどうかが問われている。機械的に生かされている心臓に命を認めなければ、医学にとって
この行為は何の意味も持たない。また逆にこの命を否定しなければ、脳死からの心臓移殖は出来ない。医学の自ら生んだジレンマである。
しかし、そんなことには関係なく、僕の心臓は僕だけの心臓でいて欲しい。僕の心臓は僕だけの恋をするから。人はそれぞれ恋する相手のタイプが違う。一目
惚れの心臓の鼓動は僕だけの鼓動だ。思想も信条も知識も何もかもを真っ白にする僕だけの鼓動だ。この抑えようの無いドキドキは絶対僕だけのものだ。だから
死後も、僕だけの心臓でいて欲しい。
−人間は煩悩に悩まされ続ける 昔も今も だがそれが文化を生む起爆材となったのだ− 芸術家U氏
そうかもしれない。しかし僕は、思うことがちょっと違う。煩悩を本能としてそのまま受け入れられないことに神の存在を観るのだ。煩悩の中味はみんな本能だ。
性欲・生欲・食欲の本能、これらからすべての煩悩が生まれるのだから。名誉も地位も金もこの本能の導いたものだ。しかも裸の一個の人間がゼロから持ってきたも
のじゃない。人間が作り出した社会が産んだモノだ。社会が無ければ名誉も地位も金も何の価値も無い。裸の人間には本能だけが残る。ところが人は社会を形成して
生きることの重要性を知った。逆に言えば一人で生きることの弱さを知った。勿論これも本能の導いたものだけど。兎に角社会の形成が煩悩を拡大しているのだ。で
も突き詰めれば本能に帰着する。だから煩悩の根本が本能だと思えば、悩む必要など無く諦念すべきだと思う。すべての動物が黙々と生死しているように。そうでき
ないところに神の存在を人間の中に観るのだ。
「どうしやうもないわたしが歩いてゐる」種田山頭火。人はこの句をどう読むのだろうか。私には人生は素晴らしいと聞こえるのだ。どうしようもない自分
でも歩いている。どうしようもない自分でも歩くことが許される。生きることが許される。なんて有り難く素晴らしいのだろうと。
神奈備登山道を鹿が跳んで横切り、鼬や貂が鬼ごっこ、雀や鶯、鵯の羽音に出遭う時、頭をよぎることがある。彼らは、自然に逆らわない。石が邪魔をすれば回
り道。雨が降れば止むまで雨宿り。風の音にじっと耳を澄ませ、陽の光に大空を歌う。人だけが石を砕き、道を広げ、木を切る。風雨の中を動き回る。暑いといっ
てはクーラーをいれ、寒いといっては暖房する。人の都合はいまや地球を破壊した。自然に育まれて生きられない生き物に自らした。自然の子なのに。都合主義は
自らの破滅を導くに違いない。自然からの逃避に明日は無い。
私たちがどう生きるのかを問うとき、まず、はじめに私たちは与えられた世界で生きていることに気づかなければならない。言うまでもなく触れる空気も輝く 光も精気に満ちた水もすべて与えられたものです。人は地球という環境に抱かれた赤ちゃんであるという意識を強く持つ必要があります。大人は赤ちゃんに何を見る のでしょうか。夜泣きや愚図りだけを見るのでしょうか。見るものは勿論未来ですが。 今の赤ちゃんに見るものは、それは笑顔です。たった一つのこの笑顔が何にも代えがたい大切なものなのです。何の生産性もない。何の理性もない。それこそ本能す らも感じない素晴らしい真実です。理性や感性では説明のつかない真実です。私たちが地球の赤ちゃんであるなら、地球に赤ちゃんのような笑顔を見せなければなり ません。どうしたらいいのでしょうね。私はそれを美だと思うのです。わかりやすく言えば、地球を汚さないということです。
過ぎ去って半年。6月の入口には全く信じられなかった50という数字に、いつの間にか慣らされている。もっとも人生の諸先輩から見れば、まだまだ洟垂れ小
僧には違いない。それでも「どうしやうもないわたしが歩いてゐる」-山頭火- の感が観に、さらに勘に
なろうとしているような気分を味わっている。
普段髭を剃るだけで化粧のしない男にとって自分の顔を見つめることは少ない。またべつに化粧をして美男になりたいわけでもない。そんなことだからじっと自画
を観ることもしない。皺皺の顔、白髪の増殖、生際の侵食、染みの点在、瞼の重さ、そのどれもが年齢の重なりを明かしている。それにもまして、ボケと物忘れ、
老眼、遠い耳、味音痴、利かない鼻、硬い関節等、五感の衰えが悲しい。若い頃の痛みは、心は心の問題として、肉体は肉体の問題として別々に捉えてきた気がす
る。別個に解決しようとしていた気がする。肉体の衰えはそれを一体の事とし始めた。
神奈備を登れば都合で生きる自分に嫌気が襲う。草や木、昆虫や動物たちは自然の与えられた世界で黙々と生死しているのに、人間だけが他のせいにしている。四
季のせいに、神のせいにまで。この世のどんな驚天動地も神の掌の出来事にすぎなく、普通のことなのに。これも菟道稚郎子(5世紀?)同様思想の毒によるものな
のかも知れない。何故なら自然体に生きていた人間に入り込んだ生き方の理念は、より一層人を追い詰めることになってしまったからである。
なんて可愛い表現なのだろう。しかも一切の無駄を見ない。